四一二・6-7の間=一行アキとする。
四二九・6-7の間=行アキを詰める。
【第二巻解題七八五ページで訂正をしたが、その訂正の中に誤記が生じていた。】
四六八・2 神←街
【解題五五五ページの文面はそのままにして、本文を訂正する。後年の赤字入れよりも、初出を生かす方が妥当という判断に変更した】
五二二・下20-23 [行頭(勁草書房刊)、」の後] 文庫版『初期ノート』(二〇〇六年七月二〇日、光文社文庫、光文社刊)に再録された。「「哲」の歌」、「くものいと」、「うら盆」、「冬」は『吉本隆明全詩集』(二〇〇三年七月二五日、思潮社刊)にも再録された、
【詩とエッセイの再録の区別がされていなかったために訂正し、記載の順序を改めた。】
五三六・上9 「背乘」と旧字でガリが←「背乗」とガリが
【旧字のガリであったために字画が多く、「棄」と見違えられたものと思われる。】
五三五・上13 仏教的←宗教的
【限定的にした方が妥当と思われる。】
五三六・下17 すべてを収めた。「宮沢賢治ノート(1)」、「宮沢賢治序叙草稿第四」、「宮沢賢治序叙草稿第五」、「宮沢賢治ノート(II)」の四冊である。←すべてを収めた。
【「すべてを収めた。」以降の記述で、ノートの表題と中の見出しが紛らわしいので最初に断っておく】
五三六・下19 昭和十八年一月から←昭和十七年十二月から。
五三八・上15 書かれた可能性もあると思われる。←書かれたと推測される。
【確定的には言えないと思われるので修正する。】
五四三・下13 なおもう一首は上記の「[さびしけれど]」であり、残りの二首は←なお残りの二首は
【四首の明細がわかりやすいように補う。】
【五四八ページの表のページ・行数表示の変更をする。】
表3行目 四二二・12←四二二・11
表4行目 四二二・13←四三二・12
表6行目 四二四・1←四二三・19、四二五・6←四二五・5
表7行目 四二五・7←四二五・6、四二六・14←四二六・13
表8行目 四二六・15←四二六・14
表9行目 四二八・1←四二七・20、四二九・7←四二九・6
【これらは先に記した本文四二一・6―7、四二九6―7の行アキの変更に伴うものである】
五五四・上8 「老白」と「観花」の二篇は著者の記憶によって「飢餓」と「花」の表題で『初期ノート』に収録され←「花」と「飢餓」の二篇は著者の記憶によって『初期ノート』に収録され、
五五四・上10 残りの一篇「哀辞」を含めて←残りの一篇「老白」を含めて
【本文にも目次にも間違いはないが、解題では正しい表題と『初期ノート』で記憶によって再現された表題とが入り混じって謝った記載になっているのを改めた。】
五五四・13 二月二日(推定)の川上春雄宛書簡(書簡番号29)←二月三日の川上春雄宛書簡
五五四・20 『吉本隆明全詩集』、文庫版『初期ノート』、『吉本隆明詩全集1』にも←『吉本隆明全詩集』、『吉本隆明詩全集1』にも
【文庫版『初期ノート』では正しい表題で三篇が収録されているので補う。】
五五五・上18〔四六八・2〕 神=[初]←街=初出に戻した。[以下同文ママ]
【判断を変更し、初出に戻す方が妥当と考えた。】
五五六・下20 『吉本隆明全著作集4』に再録された。「歎異鈔に就いて」は『<信>の構造 吉本隆明・全仏教論集成1944.5~1983.9』にも再録された。「歎異鈔に就いて」の副題に(以下同文ママ)
【再録の記載漏れを補った。】
補記(1)~(3)の考え方は
既刊分の誤植その他の訂正は、目先の配本作業を優先し、全集最終刊行時にまとめてお知らせする旨、第八巻の月報末尾等に記したが、誤植にとどまらない誤認・誤記の類いも散見され、やはりなるべく早くお知らせするべき思い至り、まったく遅ればせながら以下にまとめる作業を始めることにした。
配本が先へ進むことで新たにわかったことも含まれている。
訂正や補記は巻数順・ページ順にまとめ、簡単なものは
(例) 一〇五・3 ○○○○←×××××
のようにページ数、行数を記し、正しい(あるいは妥当な)記載を上(左)に、訂正・修正すべき既刊の記載を矢印の下(Webでは右)に記した。多少の説明があったほうがよいと思われるものについては、その前後に 【 】 で注記するようにした。
訂正したものが長い記載になる場合は
(例) 六一〇・11-12 [○○○]○○○○○○○○○○○○○○のようにページ数・行数と訂正した記載だけを記し、どこを訂正したかがわかりやすいように、語句を [ ]で補ったり、その訂正箇所に傍線を施したり、【 】で説明したりした。
また解題での訂正において、行頭に校異のページ数・行数の表示がある場合は、
(例) 五五五・上18 [四六八・2]神= [初]←街=初出に戻した
のように、その行頭の表示を〔 〕の中に入れた。
(間宮武彦)