自分にいちばんよく似た思想家は親鸞だと吉本隆明は考えていた。親鸞は仏教を隅から隅まで学びつくした。しかし普通の仏教僧のように、そこに書いてある概念や思想を、現実をたやすく理解するための「便利な道具」として使うことを拒否した。すぐれた概念や思想は、機能や便利性にすり替えることはできない。それらは便利な貨幣ではなくあくまでも言葉であり、機能や道具に還元できない「詩的構造」としての深淵を備えている。親鸞は仏教思想から「便利な道具」としての性格を捨て去ってしまうと、最後は何が残るか考えた。こういう親鸞を吉本隆明は心から愛した。吉本隆明の目には、世のインテリが西欧から輸入した概念や思想を「便利な道具」として使っているにすぎないことが、はっきりと見えてしまった。そこであらゆることを「詩的構造」として作り直す作業に取り組んだ。吉本隆明の全仕事をとおして、私たちは嘘とほんとうを見分ける確かな方法を学んだのである。